フィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスが暮らした住まい、アイノラ Ainola

ジャン・シベリウス(Jean Sibelius)と「フィンラディア Finladia」

ジャン・シベリウス(Jean Sibelius 1865〜1957)は、フィンランドを代表する作曲家です。
「フィンラディア Finladia 」は、シベリウスが作曲した代表的な交響詩です。

1899年秋にシベリウスは、フィンランドの歴史上の出来事をもとにした劇のために、音楽を作曲しました。
その劇は、当時自治国であったロシアに抵抗するためのイベントで披露され、「フィンランドよ、目覚めよ(Suomi herrää)」という曲でクライマックスを迎えたそうです。

「フィンランドよ、目覚めよ」を含む4つのパートがコンサートで再演されると、さらに大きな反響を呼びました。
「フィンランドよ、目覚めよ」はすぐに単独のコンサート作品として高い人気を博し、シベリウスは翌年の1900年に、匿名の手紙で提案された「フィンラディア Finladia」というタイトルで曲を改訂しました。

「フィンラディア Finladia」は、フィンランド民族主義の象徴になりましたが、まだロシア帝国の自治領だったため、公演は「即興劇」という秘密のタイトルで行う必要があったようです。

*1917年に、フィンランドはロシアから独立。

オペラ歌手のヴァイノ・ソラが1937年に、「フィンラディア Finladia」の曲にフィンランド語の歌詞を書きました。
1939年のソ連によるフィンランド侵略(冬戦争)のあと、フィンランドの詩人、V・A・コスケンニエミが新たな歌詞を提供し、それが現在も使われています。
シベリウスは1948年に、この賛歌を混声合唱用に編曲しました。

アイノラ Ainola

「アイノラ(Ainola)」という名前は、シベリウスの妻、Aino Sibelius(アイノ・シベリウス、旧姓ヤルネフェルト Järnefelt)に因んでつけられました。


アイノラは、1904年、建築家 Lars Sonck(ラルス・ソンク)によって設計された地下1階、地上2階建ての木造住宅です。2階部分は1911年に増築されました。
ラルス・ソンクは、アールヌーボー様式の教会や公共建築を設計したことで有名ですが、木造住宅も数十軒、手がけています。

建築にあたり、シベリウスには2つの要望がありました。
ひとつは、書斎からトゥースラ湖を眺められること、もうひとつは、食堂に緑色の暖炉を設けることでした。
これらの要望はふたつとも叶えられました。

食堂に設けられた緑色の暖炉

一般公開は1階と庭園です。当時は1階が居住スペースで地下室にはアイノラで馬の世話や管理人として働いていたヘイッキ・ソルムネンの部屋がありました。
1911年に書斎、客室などが2階に増設され、2階が居住スペースとなりました。
その後も住む人々の生活に合わせてリノベーションが施されました。

シベリウス一家は60年以上、アイノラを住まいとしていました。そのため家具やインテリアには様々な年代のものがあります。

アイノラには1919年にすでに電気が使われていました。電話も家が完成した直後に設置されました。
しかし、アイノラには水道設備はありませんでした。
これは、水道管を流れる水の音が作曲中のシベリウスの邪魔になることを避けるためです。
水道設備が設置されたのは1961年になってからです。

1)居 間
居間にある家具は、トゥルク城にあるものをモデルに造られました。
様式は、後期グスタビアン格子模様風です。

シベリウスの三女、キルスティ・マリアが 1900 年に死亡したため、グランドピアノの上には死に関する作品が置かれています。

シベリウスの要望であった緑色の暖炉がひときわ、目にとまる
1915 年、シベリウス50歳の誕生日に、約140人の音楽仲間からプレゼントされたピアノ
月桂樹のリースはシベリウスの85歳の誕生日に国民より贈られた
シャンデリアはシベリウスのおじがイタリアから持ち帰ったもの

2)食 堂
アイノ・シベリウスは若い頃、クオピオの木工学校に通ったことがあり、食堂の最初の家具類を自分で設計しましたしが、それらのほとんどは現存されていません。
残されているものは窓の前の食卓と長椅子、さらに階段の手摺り、食堂の食器棚だけでです。
家具類は、1940年代にストックマンデパートから購入されたものです。それらは、1930~1940年代を中心に活躍したデザイナー、ワーナー・ウェスト(Werner West)のものです。

壁にかけられたリュイユは、学友のワルター・フォン・コノヴィよからプレゼントされたものです。1841年に織られたもので、シベリウスの母親マリア・チャーロッタ・ボルグの誕生年です。

また、食堂入口の上にある絵は、シベリウスのお気に入りのもので、オスカル・パルヴィアイネン(Oscar Parviainen)の作品です。

アイノ・シベリウスが設計した家具
ストックマンで購入した家具
オスカル・パルヴィアイネン(Oscar Parviainen)の作品。シベリウスの曲からインスピレーションを受けて描かれた
学友、ワルター・フォン・コノヴィよりプレゼントされたリュイユは
1841年に織られたもの
左下の肖像画;フィンランドの画家エーロ・ヤルネフェルト(Eero Järnefelt)が1908年に描いたアイノの母、エリサベト・ヤルネフェルト(Elisabeth Järnefelt)の肖像画
シベリウスが作曲した交響曲第3番の楽譜がテーブルの上にディスプレイされている

3)書 斎
書斎は当初、子ども部屋でした。
娘のへイディが嫁いだ1932年に、書斎として使用されるようになりました。
ドアから入ってすぐ左側はシベリウスが葉巻きを吸うためのコージーコーナーがあります。
暖炉の上には、ヘイディの銅像があり、正面の壁には、アクセリ・ガッレンニカッレラが描いたシベリウスの若い頃の肖像画があます。
書斎には、3000冊以上もの蔵書があります。

暖炉の上には娘ヘイディの銅像
葉巻を吸うためのコージーコーナー

4)最後の書斎兼寝室
1940年にシベリウスは、2階の居住スペースから1階に移りました。
1929年以降、実際に公表された作品はないものの、常に作曲と取り組んでいたようです。

5)台 所
シベリウスには約60年に渡り、アイノ・カリとヘルミ・ヴァイニカイネンというお手伝いさんがいました。

6)サウナ
タールを塗った木造のサウナ小屋は母屋が完成してからおよそ1年後に建てられましたが、1925年に火災にあい、再建されました。
水はサウナ小屋の横にあるつるべ式の揚水装置を使って汲み上げ、吐水口からサウナへ直接送られました。

サウナ
サウナの横には洗濯室もある
サウナストーブ
つるべ式の揚水装置


7)etc

台所のドアからジャン・シベリウスとアイノ・シベリウスのお墓まで小道が続く
娘婿の Aulis Blomstedt.によってデザインされた青銅製の墓碑。トゥースラ湖の水面のようにみえるように設計した
アイノはとくにリンゴ栽培に熱心だった。ガーデンで育った野菜が併設のカフェのメニューに使われている
併設のカフェ、Café Aulis。照明はユハ・レイヴィスカのJL341ペンダントランプ。ユハ・レイヴィスカは「光の教会」とも称されるミュールマキ教会を設計した
併設のカフェ、Café Aulisでコーヒー3.5€とコルヴァプースティ(シナモンロール)5.5€

アクセス

ヘルシンキ中央駅からアイノラまでは、電車と徒歩で迷わずに40分ほどです。

ヘルシンキ中央駅からコミュータートレインRでAinola駅まで行き、そこから歩いて15、6分ほどです。ヘルシンキ中央駅からAinola駅までは、5.5€でした。
または、実際にはこの行き方では行っていませんが、ヘルシンキ中央駅からコミュータートレインでJärvenpää駅まで行きそこからバスでAholaのバス停まで。バス停から歩いて5分ほどという行き方もあります。

ヘルシンキ中央駅
電車の進行方向に向かう
階段があるのでそこを降りる
左に曲がる
道なりに進む
ひたすらまっすぐ進む。白樺の木が深くなっていく
途中、かわいいトンネルがある
アイノラに到着

アイノラ Ainola
Closed 2026年10月1日〜2027年5月1日
住所:Ainolankatu 1, 04400 Järvenpää
[2027年のチケット]
大人 18€ シニア 10€ 学生 10€ 子ども(7〜16歳) 5€
museoカード 利用可

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