
フィンラディアホールは、フィンランドの建築家、アルヴァ・アアルトの代表作でコンサートホールが1971年に、会議棟は1975に完成しました。ヘルシンキ市のトーロ湾と主要道路のマンネルヘイム通りとの間に建っています。
建物はトーロ湾に向かって建っており、鉄道でヘルシンキに到着する人にしかフィンラディアホールの正面の顔を見せていません。
マンネルヘイム通りから入る側の建物は裏の顔だったとは!
アルヴァ・アアルトのヘルシンキ都市計画※1
アルヴァ・アアルトは、ヘルシンキの都市計画を任されました。
1959〜1973年までこの大プロジェクトに取り組み、1961年、1964年、1973年に、3つの計画を提案しました。
1976年アアルトの死後も、彼の設計事務所が1977年と1980~1981年に計画を引き継ぎました。しかし、フィンランディアホール以外は実現しませんでした。
1961年の最初の計画でのアアルトの考えは、次のようなものでした。
*1809〜1917年にロシア帝国支配下(自治大公国)で建設された元老院広場が、首都の記念碑的中心であり続けるべきではない。
*ヘルシンキには「独立国家」を象徴する新しい中心地が必要である。
*フィンランド人はアイデンティティをもつ必要があり、そのための新しい首都を築く必要がある。
また、アアルトは新しい記念碑的中心は、商業活動の市街地から切り離し、政治権力の建物を置くことも望みませんでした。
民主的な機関の歴史的建造物は残し、新しい中心地区には文化や学術のための建物を建てるべきだと考えました。
アアルトの構想では、コンサートホール、オペラハウス、美術館、図書館、フィンランド・アカデミーなどの施設を建設する予定でした。
都市計画の中心は、トーロ湾でした。
公共の建物をトーロ湾の西側に建て、東側に道路の建設が予定されましたが、1973年の計画でアアルトは世論に押され、トーロ湾沿いの公共建築構想をあきらめ、自動車の増加に伴う交通問題を重視し、高速道路計画が都市計画上の重要要素になりました。
しかし、アアルトの計画案は自動車の増加を助長するものだと否定されました。
1985年にアアルトの都市計画案に代わるカンピからトーロ湾地区の都市計画コンペを実施しましたが、アアルトの都市計画に代わる案は見つかりませんでした。
白い大理石で覆われたフィンラディアホール※2
アアルトのイタリアへの敬愛から外壁には、大理石が選ばれました。
しかし、素材の特性を理解せずに用いたため、大理石の壁がフィンランドの気候には耐えられませんでした。
コンサートホールが完成したわずか5年後には大理石が反り返りはじめ、1980年代には張り替えが決定しました。
張り替えの素材については10年以上も議論がなされました。
その間に壁から大理石が剥がれ落ち始め、来訪者を守るために安全ネットが設置されるようになりました。
10年以上もの議論の末、すでにヘルシンキのランドマークとなった白い大理石で覆われた建物の外観をほかの素材に変更できないと美観の観点から、以前と同じ耐久性の低いイタリアのカッラッラ地域の大理石が1999年に張り替えられました。
2025年5月にリニューアルオープンした2022年からはじまった改修工事でも、大理石の張り替えが行われました。カッラッラ産よりも50年以上も長持ちすると言われているイタリアのラーサ地域の大理石が使われています。









かつて交響楽団のリハーサル室だったスペースで、常設展フィンラディア展が開催中です。




かつて、フィンラディアホールの従業員のためのアパートに宿泊することができます。部屋の名前には、アルヴァ・アアルトのふたりの奥さんのアイノとエリッサの名がついています。
Finladia Home
https://finlandiatalo.fi/finlandia-talo/finlandia-homes

【おまけ】
東京飯田橋のさくらテラスに入っている飲食店に飾ってあったポスターです。
1961年にチューリッヒのヘルムハウスで行われた『フィンラディア展』のポスター。
※1
Timo Koho『ALVAR AALTO ー URBAN FINLAND』
※2
yle
https://yle.fi/a/74-20095077
https://yle.fi/a/3-11388321
FINLADIA TALO HALL:FINLANDIA-NÄYTTELY
https://finlandiatalo.fi/finlandianayttely
Alvar Aalon UTOPIA
https://www.hs.fi/pkseutu/art-2000009376841.html


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