アルヴァ・アアルト建築 :ヘルシンキ、エスポー

ヘルシンキ、エスポーで見ることのできるアルヴァ・アアルトの建築物をまとめました。
ここに紹介していないものもまだまだありますが、セイナヨキやユヴァスキュラに行かなくても気軽にアルヴァ・アアルトの世界にふれることができます。

建 物

① アアルト自邸 Alvar Aallon kotitalo(1934-36)
 Riihitie 20, 00330 Helsinki, Suomi
住居とオフィスのために建てられました。

② レストラン サヴォイ Savoy(interior)(1936-37)
 Eteläesplanadi 14, 00130 Helsinki, Suomi
1936年7月3日の新聞に「今日、アールストレム・オサケイティオ(アースストレム家が所有する会社のひとつ)が所有するビルに、トップクラスのレストランサヴォイがオープンした」という記事が掲載されました。レストランの内装インテリアはアイノとアアルトが担当し、もっとも有名なものにサヴォイベース(アアルトベース)があります。

③ インシノーリ・タロ Insinööritalo(1948-1952)
 Ratakatu 9, 00120 Helsinki, Suomi
フィンランド技術者協会 (のちの技術館学術 TEK) のクラブおよびオフィスの建物です。

④ エロッタヤ・パヴィリオン Erottaja Pavillon(1951)
 Erottajankatu, 00130 Helsinki, Suomi
アルヴァ・アアルトが設計したヘルシンキ初の公共建物。1941年、防空壕の入り口の建物のコンペに勝ちましたが、戦争のために実現できませんでした。現在の建物は、1951に建てられ、地下駐車場の入り口となっています。

⑤ ラウタ・タロ Rautatalo(1951, 1955, 1957)
 Keskuskatu 2, 00100 Helsinki, Suomi
アルヴァ・アアルトは、1920年にエリエル・サーリネンが設計した建物との調和を考えました。

⑥ フィンランド国民年金協会の社宅 Riihitien kerrostalot(1952–54)
 Riihitie 12-14, 00330 Helsinki, Suomi
国民年金協会の社宅として使われていまいしたが、現在はアパートとして改装されています。

⑦ 文化の家 Kulttuuritalo
(1952–58)
 Sturenkatu 4, 00510 Helsinki, Suomi
フィンランド共産党の代表マッティ・ヤンフネンが、1952年にアルヴァ・アアルトに党本部、協会施設、文化センターを組み合わせた建物群の設計を依頼をしました。
中庭には彫刻家ヴァイノ・アールトネンの作品の開いた手の噴水があります。

⑧ フィンランド国民年金協会 Kansaneläkelaitos, päätoimitalo(1953–57)
 Nordenskiöldinkatu 12, 00250 Helsinki, Suomi   
当初の区画とは全く別の場所に建設することになり、1952年から作業を続けてきた計画は、全て破棄されました。
特に興味深いのは、小さな図書館です。これは、アルヴァ・アアルトの有名な初期の作品であるヴィープリ図書館のミニチュア版です。

アアルトスタジオ Alvar Aallon ateljee(1954–55, 1962–63)
 Tiilimäki 20 00330 Helsinki, Suomi
自邸から歩いてすぐのところに、事務所を建てました。1962 年から 1963 年にかけて、スタッフ用の食堂 ‘Taverna’を増築しました。

エンソ・グトツァイト本社ビル Enso-Gutzeitin pääkonttori (1959–62)
 Kanavakatu 1, 00160 Helsinki, Suomi
カタヤノッカ地区に建てられました。モダンな外観は、ウスペンスキー教会など周囲の建物と調和がとれていないことから、物議が醸しました。

リーケ・タロ Liiketalo (1960-1965)
 Fabianinkatu 27, 00100 Helsinki, Suomi
1960 年、アルヴァ・アアルトは、北欧ユニオン銀行の支店の増築設計を依頼されました。拡張用に確保された敷地の隣には、フロスタース& グリペンベルク建築事務所が設計し、1936年に完成した8階建の建物がありました。当時銀行はそこで営業していました。反対側には1838 年に完成した3階建のパルムクヴィストの家として知られる建物ありました。
これらの規模も建築様式も異なる2つの建物の間に、建物を設計することは難しかったようですが、パルムクヴィストの家に向かって、階段上に下がっていくことで解決にいたりました。

⑫ フィンラディア・ホール Finlandia-talo(1965–75)
 Mannerheimintie 13 E, 00100 Helsinki, Suomi
1962年、ヘルシンキ市はアルヴァ・アアルトにコンサート会場と会議場の建物の設計を依頼しました。
現在、改装中で2025年1月にリニューアルオープン予定です。

⑬ 電力公社ビル Sähkötalo Office Building(1965–75)
 Kampinkuja 2, 00100 Helsinki, Suomi
Sähkötaloは、ヘルシンキ市の電力会社(現在はヘルシンキ市のエネルギー会社)として設計されました。Sähkötaloは1961年からのヘルシンキ都市計画に基づいていますが、石油ショックなどもあり、Sähkötaloとフィンラディアホールだけがこの計画で実現しました。

⑭ アカデミア書店 Akateeminen Kirjakauppa(1968)
 Pohjoisesplanadi 39, 00100 Helsinki, Suomi
アルヴァ・アアルトは「Aereus」というペンネームでコンペに参加しました。4作品が選ばれ、続くコンペでアルヴァ・アアルトは優勝しました。そのコンペでは、「Palazzo Pitti」というペンネームで参加しました。
建物の見どころは、3階の高さの中央ホール吹き抜けで、2階四方から1階を見下ろすことができます。そして天井には、3つの大きな天窓があります。
このホールを囲む壁と中央ホールの床には、大理石が使用されています。
2階には、1986年にCafé Aaltoがオープンしました。
『ALVAR AALON KÄDENJÄNGISSÄ』Kaupunkisuunnitteluvirasto, 2009によれば、ラウタタロから移動してきた家具があるようです。いまもあるのかは未確認です。

墓地・メモリアル


Usko Nyström
1928年、アルヴァ・アアルトは、恩師であるウスコ・ニュストロムの墓碑のデザインをコンペで優勝しました。
1946年、墓碑をデザインしたアルヴァ・アアルトの名前が追加されました。

Ahto Virtanen(1937)
アルヴァ・アアルトの義理の兄弟で同僚だったアフト・ヴィルタネンが1926年に亡くなり、1937年に墓石をデザインしました。

Uno Ullbergi(1944)

同僚のウノ・ウッルベルギのお墓を1944年にデザインしました。
1958年にウノの妻のヨハンナ・エリザベスを追悼する銘板が追加されました。

Aino Alvar Elissa Aalto

ウスコ・ニュストロムとアフトとヴィルタネンのお墓の近くに、アルヴァが妻アイノのためにデザインした墓標があります。
1949年にアイノが亡くなり、アルヴァは1976年、1994年にエリッサが埋葬されました。

エスポー

⑯ ヘルシンキ工科大学(現アールト大学)(1949-1969)

⑰ オタニエミのショッピングセンターTapiolan Juhlapuku Oy(1960-61)
⑱ タピオラの集合住宅Alvar Aalto -asunnot(1961-64)

⑲ オタニエミの給水塔Otaniemi Water Tower (1968-71)

資 料

Alvar Aalto’s Helsinki
 https://www.myhelsinki.fi/en/see-and-do/alvar-aaltos-helsink
『ALVAR AALON KÄDENJÄNGISSÄ』Kaupunkisuunnitteluvirasto, 2009
平山達訳『建築ガイドブック アルヴァー・アアルト』丸善, 2009

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