フィンランド・ヘルシンキのアール・ヌーヴォー建築

カタヤノッカの歴史

トーベ・ヤンソン公園近くのカタヤノッカエリアでは、アール・ヌーヴォー建築を多くみることができます。

1600年代の終わり頃、ヘルシンキは4つ地域から構成されていました。
そのうちのひとつが、漁師が住む南東の「フィスカルバック」エリアでした。
カタヤノッカの西側です。
漁師の家屋のほかに、レンガ工場、王室の税金倉庫や穀物倉庫がありました。

1700年代の半ばには王室の刑務所が建設されました。

1800年代初めまでカタヤノッカは、都心の外れで木造の掘っ立て小屋が立ち並ぶ貧しい海上労働者や工員の居住区でした。
ヘルシンキの重要な中心地の隣に位置するため、その荒れた様相が一層際立っていました。

カタヤノッカには大きな建物が2つしかなく、ひとつはエンゲル(Carl Ludvig Engel)が設計した海軍兵舎のメリカサルミ(1825)、もうひとつはエルンスト・ベルンハルト・ロールマンが設計したフィンランド造幣局(1864)でした。

1844年に港を結ぶ運河が建設され、カタヤノッカは半島から島になりました。

1895年にカタヤノッカが区画整理され、南側が港に、北側が住宅地に、岬の先端が駐屯地に割り当てられました。

住宅地の建築規則では、家はレンガで建てること、そして土地を取得してから最長で5年以内に建てることが定められていました。
これにより、カタヤノッカは短期間、主に20世紀の初めの10年間で建設され、統一感をもつアール・ヌーヴォーの地区となりました。

カタヤノッカのアール・ヌーヴォー建築

Tallbelgin talo
Gesellius, Lindgren, Saarinen 1898


Aeolus
Selim A.Lindqvist 1903


Kontio
Waldemar Wilenius 1898


Kataja
Usko Nyström, Petrellius, Penttilä 1902


Louhi
E. Ikäläinen


Alanko


Tuki


Klinten
Bruno F. Granholm, Karl T. Nyberg 1904


Norma
von Essen, Kallio, Ikäläinen 1904


Eol
Gesellius, Lindgren, Saarinen 1903


Wellamos
Selim A.Lindqvist 1904

目に入るもの、どれもこれもアール・ヌーヴォー建築。
『Arkkitehtuuriopas HELSINKI JUGEND』によればカタヤノッカエリアには、52ものアール・ヌーヴォー建築の建物があるようです。

参 考

History Helsinki
 https://historia.hel.fi/en/alueet/southern/katajanokka-from-disgrace-to-art-nouveau-gem
Jere Jäppinen, Petteri Kummala, Sari Saresto『Arkkitehtuuriopas HELSINKI JUGEND』 
 Helsingin kaupunginmuseo, 2019


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